x86における
浮動小数点演算の精度の制御と、
80bit 浮動小数点演算問題

たけおか

初出: 2010/NOV/20


1.はじめに

様々な機械で、同じ結果を得るために、IEEE 754 (通称 IEEE Float) が定められている。
現在のほとんどの計算機は IEEE Float準拠である。
しかし、特に x86 で、スパコンと同じ結果を得るためには、注意が必要である。
(現在のスパコンの多くが、x86 coreを採用したクラスタ計算機である、などとツッコンではいけない :-P)
(また、僕は、コンピュータのことを「計算機」と言うが、それは数値計算をするという意味ではなく、
「λ計算」などと同じ意味で、コンピュータの実行というものを、「計算」ととらえていう言葉である。
僕は、条件判断ができない、ただの「電卓」を「計算機」と呼ぶことはない。逆に、いわゆる「プログラム電卓」は「計算機」である)


x86以外のほとんどの機械は計算を 64bit で行う。
例えば、
スーパコンピュータ、大型機(メインフレーム)、ワークステーション
Cray , IBM S/390, PowerStation (PPC), PA-RISC, Sun Sparc, SGI Mips, DEC Alpha など
は、64bitか32bitで演算する。
(Crayの昔のモデルと一部のモデルはIEEE floatではない。S/390は昔はIBM 360式の演算をしていた。現在のzシリーズはIEEE floatが基本)

メジャーな機械では、X86と68000の数値演算コプロセッサである68881,68882だけが 80bit 浮動小数点で演算する。
80bit演算を行っていると内部表現が「豪華」すぎて、油断してプログラミングしていると、他の機械と違う結果が出る。

なんのためにIEEE floatを使っているのか?
どの機械で数値演算を行っても、常に同じ結果が得られる、という安心のために、IEEE Floatが定められている。
※ただし、IEEE 754は、数字の文字列の入出力について規定していない。よって数字の印字形式を読み込んだ時に、 内部でどんな表現になるか、IEEE754形式から印字形式に変換したときに、変換による誤差が生じても、それは野放しである。

UNIX系OSのC言語では、ユーザが精度の制御を行わねばならない。


2. 精度の制御 80bit float問題

x86(と68881,2)だけが 80bit 浮動小数点数で演算する。
でも、
と、思う人が多いだろう。

しかし、それは甘い!





2.1 精度の制御; 80bitモードと64bitモードの切り替え

FreeBSD 4.7-STABLE #5を例にとる。
FreeBSD 4.7-STABLE #5の /usr/include/machine/ieeefp.h 中の構造体
/*
 * FP precision modes
 */
typedef enum {
        FP_PS=0,        /* 24 bit (single-precision) */
        FP_PRS,         /* reserved */
        FP_PD,          /* 53 bit (double-precision) */
        FP_PE           /* 64 bit (extended-precision) */
} fp_prec_t;
それを使用し、Cソースでこんな風に書く
#include <ieeefp.h>
     /*#include <machine/floatingpoint.h> FBSD2*/
fpsetprec(FP_PS); /* 32bit指定*/
fpsetprec(FP_PD); /* 64bit指定*/
fpsetprec(FP_PE); /* 80bit指定*/
printf(“fpgetprec() = %d\n”, fpgetprec()); /* 確認もできる */

この指定方法は、ちょっと古くなっているかも。今は、C99式の指定法が増えているかも。




2.2 x86で64bit演算指定の無意味さ

2.2.1 x86で64bit演算指定の無意味さの実例

ここでは、x86で、64bit演算指定をしても、効き目が無いことを示す。
非常に小さな数を適当に大きな数で除すると、64bitで表現できないほど小さくなり、精度が落ちる。
したがって、その精度が悪くなった商に、除した数を乗じても、もとの数には戻らない。

ここでは、1.0/1e307 (1.00000000000000010695e-307) を最初に作り、それを 3e16で除したのち、再び3e16を乗じて、もとの1.0/1e307に戻るかを、テストする。
64bit演算では、除算をした時点で精度落ちして、もとの数には戻らない。
80bit演算では、精度落ちせず、もとの数に戻る。
a=1.0/1e307;   aはすごく小さな数
printf("a= %25.20e\n", a);
b= a/3e16;    aをある数で除して、同じ数を乗ずる
b= b*3e16;     aに戻るか? 64bit演算だと戻らなくて正常
printf("b= %25.20e\n", b);

c= a/3e16*3e16;     内部表現が80bitだと戻ってしまう
printf(“c= %25.20e\n”, c); 
このコード断片を実行すると、
内部64bit演算であると、演算誤差により、もとのaに戻らないはずの演算が、 内部80bit演算だと、もとのaに戻ってしまう。


そして、実行結果。
  1. FP_PE 最適化無し FreeBSD x86 80bit
    a= 1.00000000000000010695e-307
    b= 1.48219693752373963253e-307
    c= 1.00000000000000010695e-307
    
    80bitが精度がいいのはOK

  2. FP_PD 最適化無し FreeBSD x86 64bit
    a= 1.00000000000000010695e-307
    b= 1.48219693752373963253e-307
    c= 1.00000000000000010695e-307
    
    64bit指定しているのに、80bitと同じ!(どういうこっちゃ)
    内部で64bit演算が行われているならば、
    本来、cは bと同じ、精度の悪い値になるべき。


  3. PowerPC G4 MacOSX
    a= 1.00000000000000010695e-307
    b= 1.48219693752373963253e-307
    c= 1.48219693752373963253e-307
    
    内部がいつも64bit演算の機械では、すべて同じ(精度の悪い)結果が得られる。

  4. 参考:FP_PS 最適化無し FreeBSD x86 32bit(単精度)
    a= 1.00000000000000010695e-307
    b= 1.48219697792312544166e-307
    c= 9.99999959373654373958e-308
    
    単精度なので、めちゃくちゃになって当然。




2.2.2 評価順序の確認

先の例で、 c= a/3e16*3e16; という式が一つに書かれているので、ひょっとすると 評価順序が人間の思いとは別に、乗算を先に行った後、除算を行っているかも知れない。
ここでは、除算が先に行われていることを確認する。
(※ C 言語の文法では、強さが同じ演算子については、ソースコード上の字面とは無関係に、 コンパイラは演算の順序を入れ替えることができる。 加えて言えば、二項演算子の左オペランドと右オペランドのどちらを先に評価するかも、規定されていない。
※Fortranは、浮動小数点演算については、ソースコードの字面の左から右に(人間の習慣にあった)演算を行う。 勝手に演算の順序を入れ替えることはない。整数演算についてはその限りではない。 (参照: 浮動小数点演算の演算順序) )

確認のため、 cc -S seido1.c として、アセンブラのソースを出力させて、それを見る。
fldl -8(%ebp)
fldl .LC4
fdivrp %st,%st(1)      b= a/3e16;
fstpl -16(%ebp)
fldl -16(%ebp)
fldl .LC4
fmulp %st,%st(1)       b= b*3e16;
:
:
fldl -8(%ebp)          c= a/3e16*3e16;
fldl .LC4
fdivrp %st,%st(1)
fldl .LC4
fmulp %st,%st(1)
アセンブリ・ソースで確認できるとおり、fdivrp %st,%st(1) を行った後に、fmulp %st,%st(1) している。
よって、先の精度のテストは、意図したとおりで、問題ない。

ちなみに、このアセンブリ・ソースでは、除算と、乗算を 2行に分けて書いた方は、このように
fstpl -16(%ebp)
fldl -16(%ebp)
浮動小数点数の、メモリへのストアとロードが生成されている。
特に、ストアが生成されていることが重要なのである。(後に詳述)



3. 問題の整理。計算がうまく行く理由

2.2.1のテストにより、 次の2式は、違う結果をもたらすことが分かった。
  1. b= a/3e16; b= b*3e16;
  2. b= a/3e16*3e16;
2の式は中間結果が 80bit のまま保持され、また、内部でも80bitで計算が行われる。
結局、64bit指定の意味がまったく無い。
これでは、PowerPCやSPARCと互換性のある計算が行えない。

1の式はどうしてうまく行ったのか?
C言語では、代入は型変換を行う。
今の場合、bという変数への代入が、64bit浮動小数点数への、型変換、すなわち精度の合わせを行う。
機械語命令としては、 fstpl -16(%ebp) が、64bitへの変換を行いつつ、メモリへのストアを行う。
1の式は、一つの演算を行うたびに、64bit変数へのストアを行うので、人間が欲したとおり、64bitの精度で演算を続けることになる。


ということで、
x86 の浮動小数点演算を 64bit で行いたい場合、C言語であれば、 各一演算ごとに一文に分け、各文ごとに、 倍精度変数への格納とする。
(演算を一文ごとに分けるのは、演算の順序を明示的に指定するためでもある。 (参照: 浮動小数点演算の演算順序)) )

基本的には、上は正しい。
しかし、まだまだ、問題がある。



4. 最適化による問題と、その回避

これまでの議論で、変数への格納により、ずっと64bit演算を行わせることができることが分かった。

しかし、伏兵がいる。
完成した数値計算プログラムは例外なく、最適化のオプションを指定するであろう。
それが問題を生む。

先の精度テスト用のコード断片について、最適化の指定をして結果を見る。
  1. FP_PD 最適化無し
    a= 1.00000000000000010695e-307
    b= 1.48219693752373963253e-307
    c= 1.00000000000000010695e-307
     
    意図どおり

  2. FP_PD -O4
    a= 1.00000000000000010695e-307
    b= 1.48219693752373963253e-307
    c= 1.48219693752373963253e-307
     
    コンパイル時に静的に最適化され、式は、定数にされてしまっている
    このコンパイラでは、コンパイル時計算は、64bit精度で行われているようだ。

  3. FP_PD -O4 -ffloat-store (正解!)
    a= 1.00000000000000010695e-307
    b= 1.48219693752373963253e-307
    c= 1.00000000000000010695e-307
     
    ロード、ストアが残され、実行時に計算。

  4. PowerPC G4 MacOSX -O4
    a= 1.00000000000000010695e-307
    b= 1.48219693752373963253e-307
    c= 1.48219693752373963253e-307
     
    PPC 64bitは、いつも64bit

  5. ※Linux Gcc4では、 -ffloat-storeの効果無し。 -Oと同様の結果
OS コンパイラ
FreeBSD 4.7-STABLE #5: i386 gcc version 2.95.4 20020320 [FreeBSD]
Darwin Kernel Version 7.9.0: Power Macintosh powerpc gcc version 3.3 20030304 (Apple Computer, Inc. build 1666)
Linux 2.6.11-1.1369_FC4 #1 Thu Jun 2 22:55:56 EDT 2005 i686 i686 i386 GNU/Linux gcc 4.0.0 20050519 (Red Hat 4.0.0-8)
今回の、OS、コンパイラ


上のテストの2番のように、
-O4 最適化を行うと、変数へのストアが消されてしまい、 64bitへの精度合わせがなくなり、結局80bitで演算が行われてしまう。

これを抑制し、64bitで演算をさせるためのオプションが大抵のコンパイラに 備わっている。
gccでは、 -ffloat-store である。
テストの3番のとおり、 -ffloat-store を指定すれば、最適化を指定しても、意図したとおり、64bitで、演算が行われる。




5. Fortran

数値計算の王道の言語は、Fortranである。
Fortranについても調べた。

結論を言えば、Fortranでも、ストアが行われないと、 64bit 丸めが行われず、80bitで演算が行われてしまう。

5.1 NetBSDの Fortran

なぜか、NetBSDのGnu FortranとMac OS Xの Fortranでテストした。

次のプログラムで、最適化オプションを変えて、テスト。
C	80bit problem
C
           implicit real*8 (a-h, o-z)
C                                

	a=1.0/1d307
	write(*,*)  a
	b= a/3d16
	b= b*3d16
	write(*,*)  b

	c= a/3d16*3d16
	write(*,*)  c

	stop
	end



結果は次のとおり。
  1. g77 最適化無し
    1.E-307
    1.48219694E-307
    1.E-307
     


  2. g77 -O4
    1.E-307
    1.E-307
    1.E-307
     
    最適化で定数にされた
    コンパイル時計算も、 64bitではない。

  3. g77 -O4 -ffloat-store
    1.E-307
    1.48219694E-307
    1.E-307
     
    意図どおり
    (最適化なしと同様)

  4. PowerPC G4 MacOSX -O4
    1.E-307
    1.48219694E-307
    1.48219694E-307
     
    64bitで行われている

OS コンパイラ
NetBSD 1.6.1 i386 g77 version 2.95.3 20010315 (release) (NetBSD nb3)
Darwin Kernel Version 7.9.0: Power Macintosh powerpc gcc version 3.4 20031015 (experimental)



5.2 Intel Fortran

Intel Fortran (Linux下)でも、同様のテストを実施。



  1. fort -O0 最適化無し
    1.000000000000000E-307
    1.482196937523740E-307
    1.000000000000000E-307
     
  2. fort -O4
    1.000000000000000E-307
    1.482196937523740E-307
    1.482196937523740E-307
     
    最適化で定数になっている

  3. fort -O4 -pc64 -mp1
    1.000000000000000E-307
    1.482196937523740E-307
    1.482196937523740E-307
     
    -mp1はmpより速度影響が少ない
    最適化で定数になっている

  4. fort -O4 -pc64 -mp
    1.000000000000000E-307
    1.482196937523740E-307
    1.000000000000000E-307
     
    -mpは精度厳密で速度遅い
    -O0と同様、毎回計算しストア
OS コンパイラ
Linux 2.6.11-1.1369_FC4 #1 Thu Jun 2 22:55:56 EDT 2005 i686 i686 i386 GNU/Linux Intel(R) Fortran Compiler for 32-bit applications, Version 9.0 Build 20050430 Z Package ID: l_fc_p_9.0.021
6. まとめ

64bit精度で演算をさせるには…

C言語では double 変数,
F77では real*8 変数
が64bit。

浮動小数点演算を行うごとに、その結果をdouble変数に代入すべし。
64bit変数へのストアは精度あわせ(丸め)を、その度に実行する

丸めが、切捨て/切り上げ/四捨五入のいずれであるかは、実行環境に依存する
実行環境とは:IEEE float指定、機械やCコンパイラの限界、プログラマによる明示的指定


また、最適化でストアがなくなってしまうことがありえる。
コンパイラにストア削除を抑制するオプションが用意されている。
X86で、64bit精度の演算を行うには、それらの指定が必須

FORTRANにもストア削除の抑制オプションが存在する場合がある(g77, SunF77)

各コンパイラの、ストア削除の抑制オプション
gcc, g77 -ffloat-store
Sun CC, f77 -fstore
Intel Fortran -pc64 -mp




6.1 しかし…

セルフでコンパイルしていても、
コンパイラが最適化時に計算した定数と、
実行時の値が異なるとは!


そもそも
精度の変更が動的にできるということは…

コンパイラで定数の最適化は不可能、もしくは現実的ではないでは?
クロス・コンパイラってしんどそう(ただし、そもそも80bit floatがなければ問題ないよね)
FORTRANのような静的な言語が望まれるなぁ。(80bitのせいで)



ここまで、書いてきたが、首藤さんに、2回丸めが起こり、他の機械と違う 結果が出る場合があることを教えていただいた。

これを回避するには、単純なコンパイルではなく、ちょっとしたコード列を 実行させねばならない。
コンパイラにそういうコードを生成させればよいのだろうが…

この項は、ユーザとしてのお話なので、まぁ、限界があるです。


たけおか(竹岡尚三)のホームページ